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›2007年12月17日

“グレイシーの問題児”ハイアン・グレイシーが変死

Posted by JS at 18:22 / Category: 【格】格闘技全般 / 0 TrackBack
グレイシーの「問題児」が拘置所で変死(nikkansports.com)

 グレイシー柔術の使い手として日本でも総合格闘技で活躍したハイアン・グレイシー氏が15日(日本時間16日)、サンパウロの拘置所で死亡しているのを発見された。死因は不明。33歳だった。現地時間14日に起こした自動車窃盗の罪で拘束されていた拘置所の独房で死亡が確認された。発見当時は脈拍がなく、心臓発作で亡くなった可能性もある。

071217_RyanGracie.jpg ちょっと取り上げるのが遅くなったが、PRIDEでも活躍したハイアン・グレイシーが急死したというニュースには驚いた。ハイアンといえばグレイシー一族の中でもかなりの問題児で有名だったが、何と言ってもPRIDE初戦となったPRIDE.10のインパクトはデカかった。
 あの真夏の西武ドームで、うだるような暑さの中、当時はまだライオンマークを背負ってケンドー・カシン(石澤)が満を持してのPRIDE参戦! その相手がハイアンだった。桜庭がヒクソンに勝った直後だったこともあり、石澤がグレイシー相手にどんな試合をするかと思っていたら、入場してきたハイアンは完全に目がイってる! そして、いざゴングが鳴ったらいきなりハイアンのパンチが石澤の顔面を捕らえ、あとはパンチの雨あられ。わずか136秒で石澤は敗れた。

 あの一戦は本当にインパクトがデカかった。当時はまだ「プロレスラーは総合でも通用する」という意識も強かったし、その中でも石澤は桜庭や藤田並みに「総合でも勝てるプロレスラー」として期待されていた。その期待をハイアンは、あの当時のグレイシー一族とは思えないパンチのラッシュでブチ破ってみせたのだから、もうただただビックリである。
 ただ、その後のハイアンは「試合2日前に肩をケガした」という理由から、待望の桜庭戦を急遽10分1Rのみ・判定なしというルールに変更したり(試合は引き分けだったが、桜庭が圧倒的に優勢)、石澤のリベンジ戦では試合中に脇腹を痛めて敗れるなど、不可解な試合が続き、結局2004年大晦日の安生戦が日本でのラストマッチになった。

 そういえば『PRIDE大百科』の取材で、PRIDE.15のときにバックステージでいろいろな風景を写真撮影していたのだが、その中に選手たちがゲートの裏で入場式の出番を待っている姿を写した一枚がある。そのとき、なぜかハイアンがほかの選手たちからちょっと離れて、一人“うつ伏せ”で床に寝転がっているのだ。この写真は本の中にも掲載されているので、覚えている人もいるかもしれない。持っている人はぜひ見返してほしい。
 ハイアンがうつ伏せに寝ていた理由はまったく分からない。ハイアン流の緊張のほぐし方なのか、7月で暑かったから床が冷たくて気持ちよかったのか……。ちなみにこの場所は普段はマスコミでも入れない。このときは大百科の企画ということで“特別”に入れた場所なので、マスコミ向けのパフォーマンスでもない。何にせよこのときのハイアンを見て、「ホントに変わっている人なんだなぁ」と思ったのをよく覚えている。
 ハイアン選手のご冥福をお祈りします。

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